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これから、「猟師の墓と猿の墓」を読んでみようとお越しくださったみなさまへ

愛と勇気の物語、「猟師の墓と猿の墓」はとりあえず、完成したとのことでしたので、掲載させていただきました。
著作権は尾形丹士様に帰属します。

この物語は、大麻山にまつわる伝説が骨になるストーリーですから、それぞれ、聞き伝わってる物語に違いがあるかもしれません。
この部分はワシが聞いている話とチャウぞ、ということがありましたら、連絡ください。
著作権者、尾形様に転送します。参考にさせていただき、、手直し等、するかもしれないとのことです。

ご一読くださいまして、ご意見をいただけたら嬉しいです。北灘、大麻町の方、よろしく。

当ホームページ管理人  
連絡先:jitisin@infoseek.jp 


「猟師の墓と猿の墓」

〜愛と勇気の物語〜

 尾形丹士 作

むかしむかし・・・

大麻山は、木々が青々と茂り、季節には栗や柿、枇杷に桃などが実り、それはそれは豊かな山でした。麓の村々も山の恵みを受け、人々も楽しく平和に暮らしていました。子供たちは、野や山を駆け回り、山の動物たちとも仲良く遊んでいました。とりわけ、ひょうきんものの猿たちとは仲良しでした。

 大麻山の中腹に住む木こり平助の息子、太助はわんぱくさかりの八歳でした。もっと小さい頃から、お父さんの仕事についていっては、山の中を走り回っていました。ある日、お父さんと一緒にお弁当を食べていると、一匹の小猿が木陰から太助の食べているおにぎりを欲しそうに覗いていました。やさしい太助は、そっと、近くにあった木の葉にのせて、分けてやりました。それからというもの、小猿は太助が山に来るたびやってくるようになり、そのうち兄弟のように仲良くなっていました。村の子供たちもよく一緒に遊びました。太助たちは、その小猿に佐助という名前をつけかわいがりました。

 ところが、ある日、いつものように村の子供たちと山に登りましたが、佐助がやってきませんでした。次の日も次の日も、やってきませんでした。その頃から、仲良しだったはずの猿たちが、急に悪さを始めたのでした。最初は、里に下りてきて、畑を荒らしたり、軒先につるしてあった食べ物がなくなるくらいでした。そのうち、山に仕事に来た村人を襲ったり、牛や馬、鶏などをさらい、村の人々を困らせはじめました。太助の父平助も、仕事中に猿の集団に襲われ、大怪我をしてしまいました。山に住むことができなくなり、里に下りてきた太助一家も、村の人たちも猿たちを憎み、うらむようになり、手に手に鍬や釜を持ち、追い立てました。太助は、山に行くことを禁じられ、毎日佐助のことを思いながら、窓からさびしそうに山を見つめていました。

 いつ、どこから来たのかはわかりませんが、大麻山の猿を支配するボス猿は、身の丈三メートル以上もある大猿で、人の言葉がわかり、霊力を持っているということでした。太助や子供たちと仲良しだった猿たちも、その大猿には逆らえず、いつの間にか、心まで支配されてしまったのでした。

 友達を失った子供たちは、畑を荒らす猿たちと村人たちの争いを、悲しそうに見ていました。以前のように野や山を駆け回ることもできず、遊びを失った子供たちは、日に日に明るさを失っていきました。村に恵みを与えてくれていた大麻山は完全に猿達に占領され、村人たちは怖くて、足を踏み入れることも出来ませんでした。

 「ボスの大猿さえ退治できれば、もとの平和が取り戻せるのだが・・・。」庄屋さまの家に集まった村人たちは口を揃えて言いました。しかし、大猿が怖くて誰一人退治に出かけようとする者はいませんでした。かしこい大猿は、それをよいことに、したい放題悪いことをしていました。そこで、話し合いの結果、みんなでお金を出し合って、大猿退治に賞金を懸けることに決めました。

 大麻山の大猿のうわさは、あっという間に広まり。その賞金を目当てに、われこそはと、何人もの、腕に覚えのある猟師たちが、大猿退治に山に入りました。しかし、返り討ちにあったのか、誰一人かえって来ませんでした。そのうち、誰も来なくなってしまいました。

 猿たちは増え続け、四・五百匹の大群となり、山の木の実や果物などを食べつくし、畑の作物や、家畜を狙い、村人たちは、食料にも困ってしまうほどになってきました。

 その頃、播州(今の兵庫県)赤穂に住む、有名な兄弟の猟師が、うわさを聞き、世のため人のため、村の窮地を救おうと、大猿退治に名乗りを挙げました。兄の五郎は鉄砲の名手で、弟の義六は弓の名人でした。五郎は、小柄でしたが頭がよく、世話好きで、まがったことが大嫌いな性格でした。人望があり村の世話役をしていました。義六は、体が大きくて逞しく、正義感の強い豪快な性格でした。それでいて、とてもやさしい好青年でした。

 猟犬タロウは、五郎の愛犬で、賢くて忠実でした。いつも五郎と行動をともにし、幾多の困難もくぐり抜けてきました。真っ白い毛並みが美しい犬でした。

 五郎は準備を整え、タロウと共に出発しました。決して裕福ではない五郎にとって、淡路島を経由しての長旅は、費用も掛かり大変なことでした。しかし、五郎の足取りは速く、力強く、心は、一時も早く苦しんでいる大麻山の人々を助けるのだと燃えていました。

 麓にたって見上げた五郎の目に映った大麻山は、どんよりとしていて、妖気が漂っていました。一瞬にして村人たちの苦しみが感じ取れました。鉄砲を持つ右手をぎゅっと握り締めました。タロウも何かを感じたに違いありません。二度、力強く、大麻山に向かって吠えました。

 到着を、今か今かと待ちわびていた村人たちは、小柄な五郎のいでたちを見て、がっかりした様子さえ見せていました。しかし、すぐに五郎の鋭い眼光と、並々ならぬ気迫に触れ思い直さざるを得ませんでした。庄屋さまが、長旅の慰労にと酒宴を設け執拗に誘いましたが、五郎はきっぱりと断り、まだ日の高い今から、すぐに山に入ると、決意を伝えました。

 これまで、やってきた賞金目当ての猟師たちは、例外なく招きに応じ、何日も酒を飲み、好き勝手を繰り返していたのでした。集まった村人たちは、五郎の、心からの正義感に触れ、涙しながら感謝の気持ちで一杯になりました。村人たちが心を込めて作ってくれたおにぎりと、水の入った竹筒を腰につけ、五郎とタロウは出発しました。

 まだ子供とはいえ、山に最も詳しい太助が道案内を買って出ました。父平助の仇と、佐助の消息が知りたかったからでもありました。村人たちは、総出で山の中に姿が見えなくなるまで手を振り、五郎たちを見送りました。

 太助は、佐助と出会い、遊んだ場所まで来ると、何度も何度も大声で佐助を呼びました。けれども姿を見せませんでした。五郎は、太助の様子を見て声をかけ、太助の話を聞いてやりました。そして、佐助のこと、父のことを知りました。五郎は太助の安全を気遣い、むずがる太助を諫め、村に帰らせることにしました。太助は、佐助の消息も心得てくれた五郎に想いを託して山を降りていきました。

 五郎たちが山を進むのに平行して、高い木の上には、いつも猿達がついてきていました。狙いは大猿でした。気付かぬ素振りで進んでいきました。必死に山の中を探しましたが、大猿は見つかりませんでした。夕暮れが近づいてきました。村の人たちが持たせてくれたおにぎりを、タロウと分け合って食べました。ふと木々の間から、一軒の山小屋が見えました。さっそく訪ねて見ることにしました。山小屋には一人の老婆が住んでいて、糸をつむいでいました。

 五郎たちに気付いた老婆は、手を止めて、愛想良く迎えてくれました。そして、五郎は猟師で、大猿を退治に来たと知ると、たいそう喜んで、「ありがたや、ありがたや。」と、温かいお茶を振舞ってくれました。タロウにも冷たい水を用意してくれました。見つからず途方にくれている五郎に、大猿の居所を詳しく丁寧に教えてくれました。そして、五郎に尋ねました。「鉄砲の弾は、何発持っているのかね?」「十発持っています。」そう答えると、にこりとしながら、「そんだけあれば、大丈夫じゃ。心臓を狙って見事仕留めるのじゃぞ。奴の弱点は、心臓じゃから!」

 早く出かけないと、日が暮れてしまいます。五郎は、はやる心を抑えながら、丁重にお礼を言って、出発しました。老婆の教えてくれた場所を目指して、必死に走りました。初めての山とはいえ、経験豊富な五郎たちには何の問題もありませんでした。しかし、あたりが薄暗くなり始めました。山の中では里よりも早く日暮れがやってくるのです。今日はもうあきらめて、明日にしようと、帰りかけたときでした。前方の林の中を、大きな黒い影が横切りました。タロウが、大きく吠えながら、巨大な影をおいました。タロウに吠えられ、立ち止まった影は、紛れもなく狙いの大猿でした。タロウを威嚇するため両の手を上に挙げて、牙を剥く姿は、まるでヒグマをも連想する巨大さでした。五郎は、ひるむどころか、メラメラと、闘志がわいてきました。日が沈みかけ、さらに暗さを増していましたが、熟練した五郎の目には、大猿の影がはっきりと見えていました。

 「ようし!」早速弾を込め、慎重に大猿の心臓部に狙いを定めました。その距離二十メートルはありました。「ズドン!」銃声が響き渡りました。確かに手応えはありました。命中したはずでした。ところが、大猿は倒れません。それどころか、五郎に向かって近づいてくるのでした。五郎は、心臓をめがけて撃ち続けました。タロウが、何かを伝えようとしてか、五郎に向かって必死に吠えていました。しかし、迫り来る大猿に、平常心を失ってしまった五郎には伝わりませんでした。

 「カーン・・・。」という金属音に気付いたときには、十発の弾は撃ち尽くしていました。五郎の眼前に迫った大猿は、なんと、大きな釣鐘を心臓の前に抱えていたのでした。「しまった!老婆にだまされたーっ!」五郎は、悔しさのあまり絶叫しました。そう、老婆は、大猿の化身だったのでした。

 大猿は、弾を数え、撃ち尽くしたのを確認の上、釣鐘を投げ捨て、五郎に襲いかかろうとしました。タロウは、主人を守ろうと必死に抵抗しました。しかし、大猿の一撃を受け、太い木の幹にたたきつけられてしまいました。激しい戦いを物語るように、真っ白かったタロウの体は、赤く染まっていました。倒れたタロウをめがけて、とどめの一撃を見舞おうとした大猿の前に、五郎が立ちはだかりました。タロウが戦っているすきに、逃げようと思えば逃げられたかもしれません。しかし五郎は、この窮地にたってもなお、愛犬五郎を想い、見捨てることはしませんでした。しかし、弾の尽きた鉄砲だけでは、かなうはずもありませんでした。

 山の中は、漆黒の闇に包まれていました。折れた鉄砲が、戦いの凄さを物語っていました。どのくらいの時間、気を失っていたのでしょう。寒いはずの夜の山中なのに、暖かささえ感じながら目覚めたタロウは、全てを悟りました。五郎は、身を挺してタロウを守ったのでした。タロウに覆い被さるように倒れている五郎は、もはや、帰らぬ人となっていました。タロウは、真っ黒な夜の空に向かって吠えました。その声は、悲しく響き、麓の村にまで聞こえてきました。

 タロウは、血に染まった五郎の片袖を食いちぎり、播州を目指して走り出しました。

 太助は、五郎達のことが気にかかり、寝付かれない夜を過ごしていましたが、悲しいタロウの声が気になって、山道の入り口まで来ていました。これまで、月もない真っ暗な夜に、外になど出たことはありませんでした。暗闇の中でも、血に染まっているとはいえ、タロウの白い体には気がつきました。片足を引きずりながら、必死に山道を駆け下りてきたタロウの形相は、昼間見たそれとは全く違っていました。震えるタロウを抱きしめてやりました。そして、嫌がるタロウを、家まで連れて行き、父平助を起こしました。手当をし、喉が渇いているだろうと水をくんでやっても、くわえている血染めの片袖は決して離しませんでした。

 太助の知らせを受けた庄屋さまをはじめ、村の人たちが集まってきました。傷つき疲れた体で、隙あらば飛び出していこうとするタロウの様子をみて、播州へ帰りたいのではと太助は思いました。水も飲まないタロウをこのままここに引き留めてもどうにもなりませんでした。庄屋さまが、手紙を書き、タロウの首輪に結びつけました。そして、タロウを自由にしてやりました。タロウは、一目散に駆け出しました。少し走ったところで一度立ち止まり、太助達を振り返りました。そして、五郎と降りた港を目指して走り去りました。太助は、涙を流しながら何処までも後を追いかけました。

 播州赤穂に戻ったタロウは、弟義六を前にして、初めて口を開き、くわえた片袖を離しました。それまでの間、吠えることもせず、飲み食いなしで走り続けたのでした。やせ衰えたタロウの姿と、兄五郎の血染めの片袖を見て、兄の死を悟りました。相手が巨大な大猿とはいえ、あの兄が負けるはずはない。五郎は、直感で何か策略めいたことを感じました。タロウの赤く染まった毛の色だけでも、戦いの激しさが想像できました。もはや、じっとしてはいられません。義六は、兄の仇を討つべく、すぐに出発することにしました。疲れ果てているタロウを気遣い、気付かれないようにそっと支度をはじめました。先ほどまで炊事場の土間にいたはずのタロウがそこにいました。義六の愛用の強弓を抱くように休んでいたのでした。義六の目から涙があふれました。タロウの意気地に涙せずにはいられなかったのでした。そんなタロウを残しては出発できませんでした。義六は、誰よりも悔しく、自分以上に仇を討ちたいであろうタロウを、暖かい布で包み、抱きかかえて出発しました。その間、タロウの目は開きませんでした。

 港に着いた義六は、渡してくれる船を捜しました。一艘の船を見つけ、船頭に頼みましたが、今しがた着いたばかりで、明日でないと船は出せないとのことでした。うなだれて引き返そうとした時、抱きかかえたタロウの尻尾が包まった布の間からこぼれました。それに気がついた船頭は、義六を呼び止め、言いました。「もしやその犬は、タロウというのでは?」

 この船頭こそが、傷ついたタロウを乗せて、播州まで送り届けてくれたその人だったのでした。船頭は、義六に一枚の小さく折りたたんだ手紙を渡しました。庄屋さまがタロウの首輪にくくりつけたものでした。義六は、タロウをそっと降ろし、手紙を読みました。

 「この犬、忠犬なり。タロウと申す。故あって播州は赤穂に帰還させたし。大麻村の運命を託す。庄屋 喜兵衛」

 船頭は語り始めました。「昨日の朝、漁に出ようと船に乗ると、ぐったりとしたタロウがおりました。追い出そうとすると、すっくと立ち上がり、牙をむいて必死の形相で唸るのです。私も犬を飼っているので、手なずけることには自信を持っていましたが、このタロウは、違っていました。血の付いた布をくわえており、決して離しませんでした。余程大切なものだったのでしょう。首輪にくくりつけられている手紙に気がつきましたが、到底近寄れませんでした。出発の時間に遅れると、漁に差し支えるので、仕方ないと、乗せたまま出発することに決め、岸につないだひもを外したとたん、おとなしくなりました。隙を見て手紙を取ろうとしましたが、全く抵抗しませんでした。タロウの様子と、この手紙を読んで・・・。私も馬鹿な男です。大切な漁を捨てて、こうやって播州までやってきてしまいました。しかし、このタロウという犬は、大した奴ですよ。これほど必死な目で、見つめられたら、私でなくともここまできてしまうでしょうよ。」

 義六は、心優しい船頭に感謝し、何度も何度もお礼を言いました。そして、兄五郎が、大麻山へ大猿退治に出かけたことを話しました。それを聞いて、船頭は、大きく頷きました。「そうか、タロウは主人の悲報を伝えるために・・・。」声を詰まらせながら、ボロボロと大粒の涙を流しました。「ようし、こうはしてられない。義六さん、早く乗った乗った。」義六は、言葉にならない言葉で、感謝の意を表し、会釈し、漁師の行為に甘えることにしました。義六が、タロウを舟へ運ぼうとすると、漁師はそれを制止し、漁師自身の手で、優しく抱き上げ、頬ずりしながらタロウを乗せました。

 舟の上から、遠のく播州の明かりを見つめながら、義六は兄五郎の仇討ちを固く誓いました。櫓を操りながら船頭は話しました。妹が、大麻山の麓にある村に嫁いでいるとのことでした。大猿の噂を聞き、心配していたところだとも知りました。「このようなことで、協力できるとは俺は、なんと運の良い男なんだ。」船頭は、激しい潮流を、ものともせず舟を走らせました。義六は、船頭の心意気に触れ、改めて人の素晴らしさを感じていました。

 タロウが、目を覚ましたのは、東の水平線が赤味を帯びてきはじめたころでした。義六の腕にやさしく抱かれていました。まもなくここが海の上であることがわかりました。そして、船頭に気づいたとき、「ワン!」と吠えました。その一声で、船頭にも義六にも、タロウの想いは、はっきりと伝わりました。義六達の暖かい思いやりを受け、すっかり元気を取り戻したタロウは、前方にかすかに見えてきた、大麻山に向かって遠吠えを始めました。それは長時間にわたり、悲しくも力強いものでありました。

 「ここで、義六さん、あんたとタロウが戻ってくるのを待っていますから、必ず帰ってきてくださいよ。本懐を遂げて!。」船頭に帰還を約束して、義六とタロウは決戦の地へと出発しました。

 村に着きました。しかし、村の人たちの姿が見えませんでした。外にはまったく人影はなく、田も畑も荒らされており、猿の小さな群れがあちらこちらで走り回っていました。太助の家も例外でなく、猿の襲撃を避けるために、すべての戸が硬く閉ざされていました。一刻の猶予もありませんでした。義六はタロウを見ました。タロウと目が合うと、もう言葉は必要ではありませんでした。準備は出来ていました。タロウは、義六を急かしながら、五郎の眠る無念の地へ案内しました。

 タロウをかばいながら倒れていたはずの五郎の姿がありませんでした。その大きな木の根元には、こんもりと土が盛られており、中央に桜の木で作られた墓標が立っていました。村の人々が懇ろに葬ってくれたのでした。タロウは、五郎のにおいを追い、墓標に鼻をこすり付けていました。義六は、懐から数珠を取り出し、墓標の前にかしずき、手を合わせました。墓標には『猟師五郎の墓』と丁寧に書かれていました。あふれ出る涙を拭おうともせず、無念の兄の気持ちを想う義六の胸は、はちきれんばかりの怒りに打ち震えていました。

 すっくと立ち上がった義六は、大声で叫びました。「大猿!出て来い!勝負しろ!」その声は、山中に響き渡りました。鳥たちが一斉に飛び立ち、驚いた猿が、木から落ちるほどでした。

 何かを見つけたのか、タロウが吠えました。先ほどまでなかったはずなのに、タロウの吠える先に、山小屋が見えました。五郎を殺めた大猿の化身である老婆の住む山小屋でした。しかし、義六には知らぬことでした。老婆に向かって盛んに吠え立てるタロウに、疑問を感じながらも、やさしい義六は、老婆を気遣い、タロウを外に待たせました。振舞われたお茶のなんと美味しいこと。義六は疑うことも忘れてしまいました。「その箙に、矢は何本持っているのかね?」「十本もあれば大丈夫じゃろう。大猿は心臓が弱点だから、しっかりと狙うのじゃぞ。」そして、詳しく大猿の居場所を教えてくれました。

 老婆にお礼を言いながら、にこやかに出てきた義六は、吠え続けるタロウを叱りつけながら、出発しました。タロウの普段見せない行動に、疑問を抱きながら、老婆の教えてくれた場所に急ぎました。ふと、タロウの姿が見えなくなっていることに気付いた義六は、何度も何度も大きな声で呼びましたが、戻ってきませんでした。しばらくして、一本の茅を咥えたタロウが前方から現れました。そして、進もうとする義六を妨げました。四本の足を地面につっぱり、その目は義六の目に何かを訴えていました。ここまでのタロウの行動を思い起こしながら、咥えて戻った一本の茅の意を考えました。「そうか、そうだったのか!」義六は、タロウから茅を受け取ると、腰を下ろし、小刀を取り出しました。そして、手際よく一本の矢を作りました。それを箙に挿し、代わりに最も鋭い矢を一本抜き、背中に隠し持ちました。それを見てタロウは、納得した様子でうれしそうに義六に飛びつきました。抱きかかえながら、タロウの耳元で囁きました。「ありがとう!」

日はすでに西の山陰に沈み、だんだんと薄暗くなってきました。突然タロウが駆け出しました。義六も後を追いました。タロウの果敢な咆哮により、巨大な黒い影を義六の前に現した大猿は、牙を剥き、敵意も露わににらみつけてきました。想像以上の大猿に、一瞬ひるんだかに見えた義六でしたが、太い木の陰に身を置き、弓に矢をつがえました。ここまでの状況は、五郎の時とほとんど同じでした。大猿の作戦通りに進んでいました。大猿は、義六の前に大きく両手を広げて立ちふさがりました。心臓を狙えとばかりに。ところが、違っている点が一つだけありました。射程距離の違いでした。鉄砲と弓矢では相当の開きがありました。義六は、タロウのがんばりの元、木の陰に身を隠しながら、だんだんと大猿に近づいていきました。だんだんと明るさが失われてくる中、巨大な影の心臓部をめがけて、力いっぱいの矢を放ちました。「カーン・・・」金属音が跳ね返ってきました。もう一度、矢を放ちましたが、同じく金属音が返ってきました。射程距離の違いで、五郎には聞き取りにくかった音が、義六には聞こえたのでした。次の矢をつがえながら、より近づき、目を凝らして見ると、なんと大猿は、大きな釣鐘を左手に抱え、心臓部を大きく守っていたのでした。

五郎の敗れた理由がはっきりとわかりました。義六は考えました。知恵比べでした。一般的に動物の急所は、心臓のほかに、頭や喉元があり、今から狙いを変えることは可能でした。しかし、この暗さです、もしもはずしたら、大猿に悟られてしまい二度とチャンスは巡ってこないかもしれません。今、大猿は安心しきっているはず。そして、十本の矢が尽きるのを指折り数えて待っているはずでした。十一本目の矢にすべてをかけることに決めました。タロウが必死に伝えてくれた十一本目の矢に!

タロウも悟られぬよう、大猿への威嚇を続けました。義六は、大猿が矢の数を数え間違えないように、また、悟られないように、場所を移動しながらも正確に釣鐘に向かって矢を射続けました。見事に十回の金属音が響きました。義六は木の陰から、息を殺して大猿の行動を見守りました。用心深い大猿は、しばらく待って、次の矢が飛んでこないことを確認しているようでした。「ドスン!」とうとう、釣鐘を投げ捨てた大猿が、義六を求めて動き出しました。巨大な体は、木々をなぎ倒し、勝ち誇ったような雄たけびをあげながら、義六に迫ってきました。タロウは、必死に吠え続けました。そして、義六の潜む方向に、大猿の胸を向けることだけを考えて行動しました。背中に隠した十一本目の矢は、すでに弓につがえられていました。木の陰で、迫り来る大猿の足音を聞きながら、天を仰ぎ、五郎に加護を祈りました。次の瞬間、大胆にも大猿の目の前に飛び出した義六は、渾身の力を込めて弓を引き、思いを込めて矢を放ちました。暗がりの中であっても、その瞬間の大猿の驚いた表情は見て取れました。至近距離からの矢は、見事に大猿の心臓を突き破り、「ギャーッ!」という断末魔の叫びと共に、仰向けにもんどりうって倒れました。

大猿の死を確認した義六は、その場に座り込んでしまいました。駆けつけたタロウと共に、涙を拭おうともせず、言葉を発することもなく、ただ、横たわる大猿をみつめていました。そして、義六とタロウは抱き合うように眠ってしまいました。

小鳥のさえずりと、やわらかい朝日が、義六とタロウに、さわやかな目覚めを提供してくれました。昨夜の戦いがうそのようなさわやかな朝でした。驚いたことに、そこには大猿の姿はなく、一頭の年老いた狒狒(ひひ、下記注)の屍が横たわっていました。その胸には、見事に刺さった十一本目の矢がありました。

山を降り、村の入り口まで来たとき、村人たちが目に映りました。山に登る前には、誰一人として見えなかった村人たちが、朝日にきらきらと輝く道にあふれていました。そこには、あれだけいた猿たちの姿は有りませんでした。子供たちが、タロウと義六に気付きました。太助の姿もありました。義六は庄屋の喜兵衛さんを訪ねました。大猿を退治したことを告げると、村中に歓声が起こりました。村から猿が消えた理由がわかりました。さっそく、祝いの準備が始まりました。

 義六は、庄屋さんと太助にお礼を言いました。太助がタロウを見つけて手当てを施し、庄屋さまが、手紙を持たせてくれなければ、今の喜びはありませんでした。さらに、兄五郎を見つけて、弔ってくれたことを感謝しました。喜兵衛は、五郎の人柄とタロウの忠義心を褒め称えました。そして、村の恩人として終世忘れず、その功績をたたえるために、五郎のお墓を、建てることを申し出てくれました。

 大猿は、年老いた狒狒の化身であったことを話し、これまでの猿たちの悪行の数々は、その狒狒のせいであることを話し、猿たちには罪のないことなので、許してやって欲しいとお願いしました。庄屋さまも、村の人々もわかってくれました。

 村人達は、恩人の五郎のお墓を、故郷播州が望める丘に建てることにしました。そして、この地では珍しい凝灰岩を掘り出して、村人みんなの感謝の気持ちを込めました。大猿を倒したのは、弟の義六でしたが、五郎の勇気と正義感、何よりも平和を願い、困っている人を見過ごしにはできないやさしいが、村を救ったのでした。それからというもの、五郎のお墓には、花が絶えることはありませんでした。

 一方、悪行の限りを尽くした狒狒猿でしたが、この世に生を受けたことに何ら変わりなく、今となってはもはや罪はありませんでした。そこで、村人達は安らかにこの地に眠り、山の守り神となって、長く村を災いから守って欲しいと願いを込めて、尾根を挟んだ反対側に狒狒猿の墓を建て、ねんごろに弔いました。

 月日は流れ、太助はもう一人前の木こりにと成長していました。しかし、あれからずっと気になっていたことがありました。それは、ボス猿のせいとはいえ、悪さをした猿たちに対し、心から許すことのできない村人達の気持ちでした。猿たちも、そんな村人達の心を敏感に感じ取っており、昔のように仲良く遊んだり、村に降りてくることもありませんでした。猿たちと友達になり、仲良く遊んだ自分たちの子供時代のことが、走馬燈のように懐かしく想い出されてきました。

 「佐助はどうしているだろうか・・・?」あれっきり一度も会っていませんでした。よく遊んだ場所に行く度に、感傷に浸っていました。

 今日も、仕事が早く片づいたので、思い出の地に寄ってみました。そして、食べずに残してあったおにぎりを木の葉にのせ、木陰にソッと置きました。佐助が食べているのかどうかはわかりませんが、いつも次に行ったときには、おにぎりはなくなっていました。

 猟師五郎の墓には、毎月一度は必ずお参りに行っていました。義六さんからの手紙では、タロウも元気でいるとのことでした。しかし、もう猟には年齢的に無理だと言うことでした。タロウの子供達が立派に成長し、義六と共に活躍している姿を思い描きながら、いつも五郎と話をしていました。

 その日は、いつもより少し早く五郎に会いに行きました。五郎の墓は、木々が上空を覆い、非常に涼しく、そこに至る道も、同様に茂みに囲まれた、さながら天然のトンネルのようになっていました。それは、意図的に作られたものではなく、森の木々達の五郎への感謝の気持ちがそうさせたものでした。太助が、木々のトンネルを抜けようとしたとき、何者かの気配を感じて立ち止まりました。急いで身を隠し、茂みの隙間から五郎の墓を伺いました。

 手に手に花や果物を持った猿たちが、五郎の墓の周りに集まっていました。なんと言うことでしょう。

太助がいつ来ても、五郎の墓には花がありました。果物もありました。しかし、それは村人達がお参りに来て供えてくれてあるものとばかり思っていました。「あっ!」太助は、思わず驚嘆の声を挙げてしまいました。ひときわ大きな猿が、振り返りました。太助は、手にしていたまさかりをその場に落としてしまいました。太助が立ち上がり、姿を現した瞬間、猿たちは、手に手に持っていた花や果物を置いて逃げ出しました。その素早いこと。しかし、その大きな猿だけは、太助に向けた視線を保ち、その場にとどまっていました。太助は、その場で膝を折り、手を付きました。そして、地面に額をこすりつけんばかりに頭を下げました。そんな猿たちの律儀な気持ちを、今の今まで知らずにいた自分が情けなく思えました。同時に、猿たちの優しい気持ちに触れ、このようにせざるを得なかったのでした。

 あんなに仲の良かった猿たちだったのに、本心から信じ切ってはいなかったのでした。猿たちに対して恥ずかしく、顔を上げることもできませんでした。泣き崩れた太助の背中を、やさしくなでる感触が伝わってきました。泣きはらした目を開くと、そこには木の葉にのった桃がありました。もう一段顔を上げると、やさしい眼差しの猿の顔がありました。「佐助・・・佐助なのか・・・」

 周りには、逃げたはずの猿たちがいました。恐る恐る、太助を見つめていました。佐助とその家族でした。遊んだ場所に置いたおにぎりを食べてくれていたのは、佐助達だったのでした。きっと、佐助はずっと太助を見ていたに違いありません。しかし、罪の大きさから太助の前に姿を現すことはできなかったのでした。何という再会でしょう。人以上の素晴らしい心に出逢った太助は、時間のたつのも忘れて、佐助とその家族と一緒に過ごしました。

 山を下りると、太助は庄屋様の屋敷を訪ねました。そして、五郎の墓であったことを一部始終話しました。庄屋様も感じ入り、さっそく、村中の人々を呼び集め、ことの次第を涙ながらに話してくれました。人として恥ずかしい、村人みんながそう感じました。

 佐助の子供達が、遊びに来ました。近所の子供達も集まってきました。仲良く遊ぶ彼らを、優しい眼差しで見つめる太助の心に、五郎の求めた「真の平和」の意が、今、はっきりと見えてきました。

 「こらーっ!」いたずら者の小猿を追いかける村人の顔は、優しい笑顔でした。

                                       

                                          おしまい

 

 

----------- 以下、注釈は萩薗文丸の独断 ----------

妙見神社  五郎の愛犬、猟犬タロウを「妙なる犬」として奉っているのかもしれない(萩薗文丸の独断)

狒狒 ・・・ ひひ


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